「絵島(えしま)」~古事記のおのころ島伝承地のひとつ~
住所:〒656-2401 兵庫県淡路市岩屋884−4
駐車場:近隣に有料駐車場あり(岩屋ポートパーキング)
1時間までは無料(2017年6月現在)
とおい遠い昔、天と別れた地上世界には陸地はまだなくドロドロとした海が漂っているだけでした。そこで、「高天原(たかまがはら)」の神は イザナギとイザナミの 二柱の神に「天の沼矛(あめのぬぼこ)」を与えられ、「国土を固めよ」と命じられました。
二柱の神は天空に浮かぶ「天の浮橋(あめのうきはし)」に立ち、海に矛を突き立て
ぐるぐるとかき混ぜました。そして、矛を引き上げるとその矛先から海水を含んだ塩がしたたり落ち、凝り固まって島となりました。
引用 古事記より
そして、その塩が固まってできた島を「おのころ島」といい、
ここ「絵島」が一説にはおのころ島だと伝えられています。
この話の中で注目したい点が、矛で海をかき混ぜるシーン、距離は離れていますが「鳴門のうず潮」を連想させられませんか!?
この「絵島」には小さな橋が架かっていて渡ることができます。渡ると目に飛び込んでくるのが不思議なもようの岩肌!
かき混ぜて、滴ったものが固まったらこんな感じになるのだろうか!?
この石は地質学的に珍しい褐鉄鉱沈殿砂岩層(約二千万年前の砂岩層)といい、
県の郷土記念物に指定されている。と聞くと「古事記」の話もあながち作り話ではないのかも、と思ってしまいますね(^^♪
最後のこの絵島、頂上を見ると「石塔」が立っているのが見えます!
これは、平清盛は兵庫の港「大輪田の泊(おおわだのとまり)」を安全な港にしようと沖に防波堤を築こうとしましたが、海流がはやく工事は難航を極めました。
そこで平清盛は、陰陽師の「人柱を30人用意すれば海底の竜神の怒りも静まり、工事は成功するでしょう」という助言をうけ、人柱を用意しました。
そのことに見かねた、「松王丸(まつおうまる)」(とうじ平清盛のお気に入りだったそば仕えの少年)は30人の代わりにと自分が「人柱」になることを清盛に申し出ます。最初のうちは清盛も聞き入れませんでしたが、いく度と繰り返される「松王丸」の申し出に、清盛もどうすることもできず「松王丸」は「人柱」となり、難航していた工事も無事成功したと云います。
その石塔は、人柱にされようとした人たちを助け自らが人柱になった松王丸を祀ったものだと伝わっているそうです。
この「絵島」は平家が繁栄を極めた当時、和歌を詠む名所として有名でよく月を愛でながら歌会が催されたそうです!
おそらく、「平清盛」と「松王丸」も一緒に月見をしたのでしょう。そんな思い出の地に石塔を立てたのではないでしょうか!?
そんな歴史に思いを馳せながらみる「絵島」もまた良いのではないでしょうか?
★ちなみにですが、この「人柱」を占ったのは、あの有名な陰陽師の子孫の「阿倍氏」だと云われ
その阿倍氏によってつくられた慰霊塔が大阪の能勢町下田尻の民家の片隅にその姿をとどめています。
【2017年6月21日追記】
前回は淡路島一周の疲れもあり「夜の絵島」は見ることなく帰りましたが、どうしてもライトアップされた姿をこの目で拝みたかったので、またまた行ってきました(^^♪
お昼の姿ももちろん神秘的なのですが・・・
平家の人たちがこぞって、ここ絵島で月を愛でながら和歌の歌会を催したのもわかりますね!
そして、この日は偶然この近くの「岩樟神社(いわくすじんじゃ)」の女性神主さんに出会い貴重なお話を聞くことができました。
「岩樟神社」はここ最近ではパワースポットとして人気の出てきている神社で、それもそのはず関西の人なら知らない人はいないと思われる、「えべっさん」の生まれた場所らしい!
話をもどして、神主さんの話では当時の様子の描かれた浮世絵には美しい砂浜の広がる姿が描かれているという!
ただ、この美しい「絵島」だけは当時と変わらぬ美しさで私たちを迎えてくれます!